この夏来日したRick Astley Interview

2017年サマーソニックで来日したリック・アストリー。来日が決まってから、
なんとしてもインタビューをしたくて、クリエイティヴマンさんにお願いをして、
実現させていただきました。この時に来日では、フー・ファイターズのコンサートに
飛び入りしたり、ビルボードライヴ東京でのトレヴァー・ホーンのショウにも飛び入りしたり、
日本滞在をとても楽しんでいたとのことです。
他にインタビューはやらなかったと聞いたので、一時引退したときのこと、復活したきっかけなど、
ぜひ多くの人に知っていただければと思い、私のBlogに書き残すことにします。

Rick Astley

私がプロデュースしたコンピCD「TheBoys~80’s~」も喜んでいただけました。

—今年はデビュー30周年ということでおめでとうございます。

R:クレイジーな感じだよね。25歳の娘がいるので、それを考えると年を重ねているのは自覚しているんだけどね。すごくいい思い出がいっぱいあるので、30周年を迎えられて嬉しく思っているよ。

—久しぶりの日本は楽しんでいますか?

R:日本は6、7回目だけど、いつも良い思い出を作れている。何よりも日本食が楽しみなんだ。娘が20歳の時に友人が日本に留学していたので、2週間だけ日本に滞在していたことがあるんだけど、彼女もすごく良い思い出を作ったようで、僕たち家族に取って日本は特別なんだ。僕の友人たちも日本で休暇を過ごす人が多いんだ。それにオリンピックもあるしね。以前泊まったホテルが、オリンピックの準備で改装するって聞いて、なぜこんなに美しいホテルを壊してしまうのかと残念だったんだけど、これから東京という街が世界中の人たちの注目を集めることになるのだから、その準備をしなくてはいけないんだよね。成功を祈っているよ

—昨年、新作「50」をリリースしましたが、イギリスでは29年振りにアルバム・チャートのナンバー・ワンになりましたね。おめでとうございます。

R:不思議な気持ちだったよ。実はこのアルバムは、自分の50歳の記念に作ったアルバムだったんだけど、まさかヒットするとは思わなかった。ラジオがとても気に入ってくれて、ラジオからヒットにつながったんだ。このアルバムは、自宅のスタジオで、自分のプロデュースで、自分で楽器を弾いて、自分が作りたい作品を作ったので、それがナンバー・ワンになって、とても嬉しい。

—シングルの「Keep Singing」は、ライヴで聴くとより迫力が増して、まさにライヴ映えする曲ですね。今のリックの歌声を反映していると思います。

R:僕はすごくラッキーだと思っている。51歳になってもこうやって歌うことができているんだから。そして日本に来ることが出来て、今年は南米もツアーして、若い時は自分が51歳にもなって、こうやって活動できてるだなんて、まったく思ってもみなかったからね。

—コンサートでもあれだけの歌声を聴かせれてくれて、まったく昔と変わらなくて。歌い続けるって、とても難しいことですよね?

R:僕はそんなに飲まないし、注意しているから。(と片手にビール。でもライヴ後ですから)特にツアー中、活動中はね。昨夜もスタッフは飲みに行ったけど、僕は行かなかった。というのは正しくなくて、実はビールを一杯1だけ飲んだんだ。(笑)昨日はサッカーの試合があって、マンチェスターユナイテッドが4:0で勝ったからね。

—マンチェスター・ユナイテッドのサポーターなんですね?リックの出身はマンチェスターじゃないですよね?

R:違うんだけど、マンチェスターとリバプールの間の、マンチェスター寄りの小さな町出身なんだ。マンチェスターはホームタウンじゃないけれど、そこで子どもの頃に洋服を買いに行ったり、コンサートに行ったりした。。初めてのコンサートは、スーパートランプだった。

—「Breakfast in America」のスーパートランプですね。そういったこともあって、マンチェスター・アリーナのリオープニング・イベントに出演することになったんですか?

R:ああいったイベントでは、地元出身のミュージシャンを入れるのが重要だよね。当然ギャラガー兄弟というのはマンチェスターを象徴するアーティストであるわけだから、ノエルが出演することは良いことだよね。僕は主催者からオファーがあったんだけど、あそこでは30回以上もステージに立ってるということもあり、思い入れも深いんだ。実は先日のアリアナ主催の「One Love」の時は、ロビー・ウイリアムスに呼ばれて出演したんだけど、あれも素晴らしいショウだったよね。もちろん悲劇が起こってしまったことに対する思いはあるけれど、こういったイベントによって、多くの人が結束を固めて、最終的には前向きにならないといけないわけだから。音楽はその大きなきっかけになると感じたイベントだったよね。

一ところで、リックは一時引退していたのですか??

R:そうなんだ。15年ぐらい引退していたんだ。90年代中盤から。まったくやらなかった。これ以上キャリアを進めることは難しいと思った。キャリアを続けていくためには、自分の人生のすべてを捧げなくてはいけない。周りを見ていても、25年、30年とキャリアを継続している人たちは、それこそ人生のすべてを捧げてないとできない。マドンナをであっても、母親としての顔もあるけれど、彼女だって人生のすべてをキャリアに捧げてるよね。それぐらい大変なことなんだ。

—やめたいという具体的な理由は?

R:娘がいたということ。それ以外の幸せは見つけられなかった。ツアーをしたくなかったし、街から街へという生活がもうできなかった。飛行機に乗るのも嫌だった。それは飛行機が嫌いなのではなくて、行った先でプロモーションに終われるのが嫌だったのかもしれない。やめることがその時の決断だった。徐々に消えていくよりも、キッパリやめる方がいいと思ったんだ。

—それではキャリアを再開しようと思ったのは?

R: 実は自分から歌いたいと思ったわけではなく、日本からコンサートのオファーがあって、それがきっかけだったんだ。迷っていた自分に、まだ14歳ぐらいだった娘と妻が、自分の腕をへし折らんばかりに詰め寄って、絶対行くわよ、と積極的だったことと、同時にイギリスでも自分の曲じゃなくて、他の人の曲をコンサートで歌ってもらえないかというオファーがあったんだ。ある意味日本でコンサートをやったことが大きなきっかけになったと思う。日本は文化的にすごく違うし、電車の駅ひとつとっても違う。その時の来日がとても楽しかったというのが大きい。ステージでも言ったんだけど、これは東京で起こっている一番のカラオケなんだって。それぐらい楽しかったんだ。それに妻が、その時の来日前に短編映画をプロデュースしていて、それがアカデミー賞にノミネートされて、その流れでアメリカから日本に来たこともあり、とても良い旅だったこともある。

−15年引退していて、すぐに歌声は復活したんですか?

R:実は引退していたといっても、自宅にスタジオがあったから、スタジオで歌ったり、音楽作ったり、ドラムを叩いたり、友達のバンドと一緒い歌ったり、シャワーで歌ったり(笑)、音楽から離れたことはなかった。プロとしての活動はしてなかったけどね。それにある意味、30年間離れていたことによって、調子がキープされていたのかもしれない。ずっと歌い続けている人はツアー中お酒をのんだり、たばこを吸ったり、喉を痛め続けていたかもしれないけど、酷使している人たちに比べると、もう少し自分は長く活動を続けることができるのかなと思う。

—最後に 30周年ということで、リチャード・ポール・アストリーさんがリック・アストリーさんに30年の労いの言葉をかけてあげるとしたら?

R: おもしろい質問だね〜。お前は本当についている野郎だな、と言ってあげたいw

—「50」のアルバムが、いまだに日本では発売されていないので、日本発売もよろしくお願いします。

R:そうなんだよね。努力するよ!!

サマーソニック会場にて

Thanks to : クリエイティマン&伴野由里子さん(通訳)