追悼 野中規雄さん

1984年か85年だったと思う。ある日、EpicからSonyに移動した野中規雄さんから呼び出しがあった。野中さんがEpic時代、UKアーティストのプロモーションでたくさんお仕事をさせていただき、新人だった私は、Epicと東芝に育てられたと言っていいほど、恵まれた環境の中にあった。今でも80年代を語ることができているのは、あの時代のレコード会社のみなさまに、たくさん仕事をさせていただいていたからだと思っている。

野中さんの話はこうだった。「スヌーピーはEpicとはうまくやっているけど、Sonyとはあまり仕事をしていなかったから、僕がここに来た以上、野谷靖子(友人)もSonyに来たし、これからはSonyとも仕事をして欲しい」ということだった。確か、喜久野さんも一緒だったかと思う。

Epicはファミリーのように温かい場所だったけど、Sonyはなぜか敷居が高かった。唯一、宣伝の平野さんが、決して枚数は多くないだろうサンプル・レコードをそっと毎回渡してくれていた。

仕事をしてまだ5、6年ぐらいの私に、わざわざそんな話をしてくださるために、時間を設けてくれた野中さんだった。

フレディ・マーキュリーのインタビューが出来たのも、そんな野中さん、野谷の流れがあったからだ。クイーンとしてはインタビューのチャンスはなかったが、ソロはSonyであったことから、チャンスが巡ってきた。このことは、2019年の平野さんのお店で開催された同窓会で感謝を伝えさせていただいた。 (スプーンがマイクw)

野中さん、大貫さん、政則さんの世代は、私よりも一つ上の世代になるが、何かと私たち後輩にも目を向けてくれた。

LA取材の時、一体誰の取材だったか全く忘れてしまったが、野中さん、ウィリアムさんなど、みなさんいらっしゃって、福田先生を囲んでのお寿司屋さんでのお食事会があった。注文の際、先生の前で、みんなが「光りものはダメです」を連呼して、はっと気づいて、全員笑いを抑えきれなかったというエピソードがあった。光もの連呼は、野中さんが一番回数が多かった。この話は、その後もよく笑い話に登場した。

ずいぶん前になるが、野中さん、大貫さんとご飯&カラオケに行ったことがある。カラオケでお二人は、ロカビリーや歌謡曲ばかりを歌っているから、私は酔った勢いで、「なぜクラッシュ歌わないの?パンクロッカーならクラッシュ歌ってみて」と暴言を吐いたことがある。「難しいんだよ、クラッシュ」と言っていた言葉が忘れられない。

その後、「パイレーツロック」でも、お声をかけていただき、番組後のビールのいっぱいが美味しかったりした。

コロナ禍の話だが、これまで野中さんと韓国エンタメとの接点は想像できなかったが、韓国ドラマをチラチラと見るようになったという話が聞こえてきた。そして時々、ドラマのことでメールが来たりした。ある日は、Astroのチャ・ウヌは最高のアイドルなのに、売り方がもったいないと熱いメールが来た。今やチャ・ウヌは、韓国エンタメを代表するスーパースターだが、野中さんの目の付け所はすごいなと改めて思った。そのメールには、なぜかブルース・スプリングスティーンとの写真が添付されていた(笑)

また、Sonyの佐々木さんと制作した韓国ドラマのOST集「We❤️韓ドラ」をご自身のサイトに取り上げてくださって、私が書いたライナーを褒めていただいた。なんと嬉しかったことか。。。。韓国エンタメやっていて良かったな、と心から思った。

https://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-12644519427.html

最後にお食事したのは、政則会で!2020年の新年だった。

どんな話をしたのだろうか・・・。とにかく楽しい時間で美味しい食事だったことは覚えている。

みんなとマスクなしでお食事を楽しむ最後の時だった。

 

野中さん、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

天国で、洋楽業界がもっと愛あふれる世界に戻ることができるように、見守っていてください。

初めてEpicでお目にかかった時、ジーンズのベルトがわりがバンダナで、かっこいいと思ったものだ。

R.I.P 野中規雄さん