R.I.P David Cassidy

70年代は、ラジオのDJ、音楽関係の仕事を目指して音楽を聴いていた時代ではありませんでした。だから、あの頃耳にした音楽は尊く美しい思い出になっています。

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David Cassidyが亡くなったニュースを聞き、悲しみにくれている音楽関係の友人もみんな昨晩はいろいろな思いの中で、このニュースを受け止めなければいけなかったかと思います。まっさらな心のままでいたあの時代に、女子の憧れのブラウン管のスターが、David Cassidyでした。
マーク・レスター、ジャック・ワイルド、ビヨルン・アンドレセン、ショーン・バリー、ジョン・モルダー・ブラウンといったヨーロッパ・スターに夢中になっていた頃でもありましたが、同時にリバイバルで「パティー・デューク・ショー」「ルーシー・ショー」「奥様は魔女」を楽しみにして見ていて、アメリカン・スタイルの夢のような生活に憧れたものです。そんな流れで、「パートリッジ・ファミリー」に出会い、ときめきの王子様に遭遇したのです。あの頃吹き替えでも全然大丈夫でした。キースの本物の声を聞いたのは、ずいぶん後になってからだと思います。今では韓国ドラマの吹き替えを全否定しているのに。。。ルーシーも吹き替えを楽しんでいましたっけ。
お小遣いで買うには高かった輸入アイドル雑誌「タイガー・ビート」を同級生が毎月買っていて、それをチラ見させてもらうのがあの頃の楽しみでした。ネットで情報を得る時代ではなかったので、一体他にはどんなところで情報を得ていたのか、あまり記憶にはないのですが、憧れのキースがローリング・ストーン誌でヌードになった時のショック、本当はつきあってるんじゃないかとスーザン・デイを羨ましく思ったり、Davidが義理のお母さんとどうして一緒にドラマに出ることが出来るのかと、自分なりに分析してみたり、想像力を高めながら海外の情報を得ていたような気がします。
お小遣いと相談しながら、「パートリッジ・ファミリー」のレコードとDavidのソロとどっちを買おうかと迷って「Cherish」を書いました。擦り切れるほど聴いて、CD化になった時にもまっさきに買ったものです。「Could It Be Forever」「Cherish」「I Am A Crown」「BeingTogether」好きでした。前髪パッツンよりも長いほうが好きだったけど、屈託無い笑顔が一番好きでした。

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85年、ジョージ・マイケルと仲良くなったDavidは彼のバックアップ、そしてバックコーラスで「The Last Kiss」をヨーロッパでリリース。その時にロンドンの事務所でインタビューしました。まさかのアイドルとのご対面。Davidは金髪で現れました。
キースではなかったのですが、「金髪はどう?」と聞かれてブルーネットが好きです、とは言えず、金髪もGoodと言った記憶があります。以前も書きましたが、ブラウン管のアイドルを目の前にするのは、ちょっと不思議な気持ちでしたが、とても気さくで、やっぱり素敵な人でした。
インタビューは、会議室のようなところで、担当者がそれじゃよろしくね、と言って出て行ってしまい、たった二人きりでした。お〜い、誰かこんな奇跡のような時間の承認者になってちょうだ〜いというのが正直な気持ちでした。
笑顔は私の知っている笑顔、キースのように気さくでもあり、やっぱりハンサム。ドキドキが収まらない30分は夢のごとく、あっという間に過ぎ去りました。
写ルンですよ、で撮った写真はいまだに見つかりません。でも私の心の中には、”仕事やっててよかったな〜Top3”のひとつとしていつまでも心の支えとなって輝いています。

David Cassidy。。。ときめきと夢をありがとう!

R.I.P 2017.11.21