take That…my Story 4 Gary Barlow
3連休いかがお過ごしてすか?お天気にも恵まれ、良い休日をお過ごしかと思います。私は今からFm yokohamaに出かけ、25日の放送の収録をしてまいります。内容は、配信ニュースなどでご存知かと思いますが、3人の声をお届けできるのがラジオの醍醐味です。ぜひお楽しみください!
前回のロビーに続き、今回はゲイリー・バーロウです。
Take That解散後、ゲイリーはソングライターとしての道を歩くことになります。もちろん、ソロ・シンガーとしての挑戦は彼がもっとも望んだ道であったとは思います。1997年、デビュー・ソロ・アルバム「Open Road」を発売します。私はこのアルバムが大好きで、今でも時々聴いています。肩の力が抜けた「Love Won’t Wait」は、モータウン風のリズムが心地よサウンドです。このアルバムはまさにヴォーカル・アルバム!ゲイリーのソングライターとしての才能と歌の上手さを前面に押し出した作品。タイトル・トラックの「Open Road」は、何度聴いても泣けてきます。
ソロになってからすぐに、ロンドンでインタビューをしました。オランダ以来になるので、ちょっと感傷的ではありました。当時のゲイリーのマネージャーは、Take Thatが初来日の時に同行したレコード会社の担当の方が、レーベルを辞めてマネージャーになりました。彼女の計らいもあり、リラックスして取材をしましょう、ということで、ゲイリーも大好きなお寿司を食べながらということになりました。
ホーランド・パークにあるヒルトンホテルには、当時「HIROKO」という日本食レストランがあって、巻物とかも食べられて、リーズナブルでよく友人と行ったものです。「HIROKO」は、ゲイリーの希望でもあったので、彼もよく行っていたのでしょう。
感傷的だったのは私だけだったようで、ゲイリーはとても明るい表情をしていたのを覚えています。お食事をしながらのインタビューはやりにくいのですが、マネージャーもみんな別席でお寿司を楽しんでいて、私とゲイリーはお寿司をつまみながら、といったかなりゆる〜い取材でした。インタビュー内容の詳細は覚えてないのですが、私が宿泊していたホテルの話になり、私はどうしても部屋に入ると身震いしてしまうと体験談を話すとゲイリーは「すぬーぴー、あそこはダメだよ。元〇〇だったんだから」とゲイリー。今から帰る私によく言うよ、、、と思いましたが、その話だけは覚えているのです。
ゲイリーはソロ・アルバムのプロモーション来日も果たしました。ロビー同様ゲイリーもFm yokohamaのスタジオでも収録。そのインタビュー後、みんなで隣のホテルの地下にある鉄板焼きレストランへ行きました。そんなことしか覚えてない。情けないです。白い紙エプロンをつけて、おいしいお肉をいただきました。その時、「もう踊らなくていいからよかったよ」と笑いながら言っていたゲイリーです。あの時のゲイリーにとって、踊ることはかなりプレッシャーだったようです。でも再結成してからは、しっかり踊っているので、当時は自信がなかったんでしょうね!
ゲイリーとは、この来日以降、会うことはありませんでした。レーベルとの契約が断たれ、その悔しさは自伝にも書いてありましたが、ソングライターとして裏方の仕事に回りました。ブルーやボーイゾーン、ウイル・ヤング、デルタ・グッドレムなどに楽曲を提供し、ソングライターとしてのキャリアを重ねていき、この時期にエルトン・ジョンとの交流を深め、ゲイリーは新しい世界を広げていったのです。
よくロビーとゲイリーの確執が取り上げらていましたが、ゲイリーからロビーのことをいろいろ言っているのを聞いたことはありませんでした。ロビーはソロで来日した時に、私が「Never Forget」が大好きだというと、「この曲は歌わせてもらえなかった」とぐちったので、「何言ってんの。ちゃんとコーラスはロビーらしさが出ているじゃない」と言った覚えがありますが、それぐらいでした。もちろんメディアの人間にいちいちお互いを批判することを言うわけはありませんが、今思うと、この二人は、お互いを理解してもらいたいという要求が一番強かったのかなと思っています。だからこそ、確執が生まれてしまったし、雪解けになってからは良い関係が築けているのだと思います。