Take That…My Story 1

3月25日いよいよTake Thatの8枚目のスタジオ・アルバム「Wonderland」がリリースになります。そのリリース記念として、発売日までの10日間!Take Thatの思いをBlogにUpします。

今ではUK&ヨーロッパでとてつもなく大きな存在となったグループですが、彼らの初期、成功、解散、ソロ、再結成を何回かに分けて書いてみようと思います。
これは彼らのキャリアを振り返るものではなく、関わらせていただいた私の視点からのBlogになります。みなさんそれぞれがTake Thatとの思い出があるように、私にもいろいろな出来事がありました。そんなエピソードを書き綴ってみようと思います。

デビュー・アルバム「Take That&Party」が日本で発売されたのが1993年3月。すでにイギリスでは話題のボーイズ・グループとして注目を集めていました。タヴァレスのカバー「It Only Takes A Minute」でブレイクし、「I FoundHeaven」「A Million Love Songs」「CouldIt Be Magic」といったヒット曲を生み出していました。初来日は、確かデビュー・アルバムのリリースの時だったと思います。プロモーションのみで、六本木の鳥居坂にあるレストランで歓迎パーティーがあったのを覚えています。別仕事でロンドンに行った時にスケジュールが合わずインタビューが出来ず、確か電話インタビューをやったような・・・・。不確かな記憶ですが、とにかく要チェックのグループとして追いかけていました。

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歓迎パーティーでの写真。ラジオの山川たか子さん、通訳の丸山京子さん

Take Thatはニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのイギリス版を作るためにマネージャーのナイジェル・マーティン・スミスの手によって結成されました。その時代はボーイズ・グループ全盛かなと思うのですが、イギリスは実は一段落していて、アメリカから多くのグループが出てくる時代に入るところでした。つまり久しぶりに登場したUKボーイズだったのです。Take Thatの成功により、Boyzoneがデビューしていますね。

初来日の話に戻りましょう。当時は新人ということもあって、5人がひとりひとりばらばらとなってエリアプロモーションに出かけるといった大胆な宣伝方法を展開しました。ロビーと名古屋に行ったH氏は、二人でお寿司を食べたのも良い思い出と語っていました。私は渋谷の駅地下でTokyo FMの生放送を担当していて、その小さなスタジオに3人が来ました。マークとゲイリーとジェイソンだったかな〜。記憶が間違っていたらごめんなさい。前日の歓迎パーティーで、ケーキが食べたいというマークをその時はなだめ、翌日スタジオにホールケーキを用意しました。なんでケーキが食べたかったのでしょうか?w。私はレーベルのスタッフではないので、あまりオフでのエピソードはないのですが、このプロモーションでは大阪にもショーケースライヴのため出かけました。大阪のどこかのライヴハウスでやったのですが、これまた場所の記憶はありません。しかし事件は起こりました。そのことは鮮明に覚えています。

その場にいた方はいらっしゃるかしら?プロモーション来日ですから、スタッフ全員で総動員してライヴを仕切っていました。レーベルの方もステージ前でセキュリティーになったり。。。私はMCを担当させていただき、始まる前のMC、そして終わった後の質疑応答の役目がありました。前説が終わり、彼らをステージい送り込み、ステージ袖で見ていると、ファンのみなさんの熱狂でけが人が出そうな状態となった上、小さなステージで100%の力を出しきって踊り歌う5人によって、ステージが穴あきそうなぐらいギシギシと。。。そんな時に、ライヴハウスのオーナーさんが私のところに寄ってきて、「今すぐ止めてください、これでは惨事になります。今止めないと音を止めます」と血相を変えて言い寄ってきました。でも私にはステージを止める権利はなく、周りを見るとスタッフはみんなセキュリティに回っていて、誰一人私の視界にはいなかったのです。どうしよう。。。と悩んでいると、オーナーがまた私に問い詰めるのです。勝手に音を切られてしまっては大変だと思い、私は3曲目が終わるとステージに上がり、メンバーを一時下げて、ファンのみなさんをもう少し後ろに下げ、仕切り直しをしました。メンバーにも、ステージのフロアーを気をつけるようにと注意みして!そして、再度メンバーをステージにあげ、再開させたのです。

今でもこれでよかったのかはわかりません。事はその後に起こりました。ステージ袖に戻った私に、ツアーマネージャーのガスがそれこそ怒鳴り始めたのです。「なんで止めたんだ。」とまくしたてました。私もカッとして、UKのレーベルマネージャーを見つけて、彼との間に入ってもらいました。日本人のスタッフはみなセキュリティーしていて、もみくちゃになっています。レーベルマネージャーは、「スヌーピーは悪くない。あれでいいのよ。危ないところだった」と説明。ガスは自分が持っている権限を奪われたようで頭にきたのだと思います。振り返れば、彼の気持ちもわかります。でもライヴハウスのような場所で、ファンの方がぎゅう詰め状態で、ミキシングのところまで行けず、ただただオーナーからプレッシャーをかけられ、日本のスタッフがいなくて、という状況で私は自分の判断しかありませんでした。

メンバーはプロです。どんな状況でもしっかりパフォーマンスしてくれました。しかし、私はそういうこともあり、落ち着いて見る事はできませんでしたが・・・。終わった後も、ガスからかなり言われ、日本のスタッフもようやく現場で起こった事を知り、申し訳なさそうに謝罪してくれました。誰が悪いという事ではなかったですが、この経験があって、その後イベントなどのMCをする時は、必ず日本人のスタッフはひとりそばにいてもらうようにお願いしています。私はパフォーマンスの進行を判断する立場ではない事をしっかり説明して!

その日の打ち上げ。ライヴハウスで乾杯のお疲れ様会をしたとき。メンバーもそういったガスの事件を耳にして、「スヌーピー、ここにはガスは来ないように言ったから、スヌーピーは悪くないから」とゲイリーが気をきかせてくれました。ちょっとガスには悪かったけど。その時は優しいゲイリーと思いましたが、それ以降いつも「ガスはいないから!」とからかわれるように言われ続けましたが・・・。性格なのでしょうか?メンバーそれぞれのなだめかたが5人5様でおもしろかったです。マークはこれ飲む?と甲斐甲斐しく、ハワード、ジェイソンは笑顔で、ロビーはTシャツの袖を破って頭にかぶっておどけて見せてくれました。

ちなみにこの時の写真がないんで~す。。。!!